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2006.11.17

ダリア・紫式部再び

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黒葉ダリア・紫式部がまたまた咲きだしています。11月も後半折り返し後一月半で除夜の鐘だというのに。ここ数日、日中ほんの数時間、夏みたいでは無いにしても強い太陽の輝きがあり、うっすらと汗をかくほど。そんな中でダリアは気持ち良さそうに咲いてくれてます。

やっぱりダリアはいいですねぇ~♪

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2006.04.13

浪曲と花々と

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雨上がりの今日、薄曇ではあるけれど吸う空気がとても清々しい~。

夕べは胃が痛くて晩ご飯もそこそこに自分の部屋でのた打ち回っていた。夜は好き放題パソができるのにそんな気も更々起きない。どうしたんだろう?私(T^T) 痛くて仕方なひ(T_T)

最近購入したマッサージ椅子に体を預けながら聞くはカセットテープの浪曲♪ しかも「広沢虎造」♪ これが面白いのなんのって~・・

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2004.08.02

機械油は父の匂い

地域の小学校で毎年夏休みに開催される盆踊り大会の警備に三日間の内、二日間参加した。
参加したといっても制服を着て赤いテケテケ棒を振り回して交通整理していただけだけれど(^^;
最終日にそのお礼として主催者側よりお菓子の詰め合わせをいただいた。
これは盆踊りに遊びに来たすべての人たちにおみあげとして配られるお菓子とおんなじである。
同じボランティァの仲間と一緒に帰ってきてその仲間の分を自転車の籠にいれたまま忘れて帰ってしまった。
彼も小さい子がいるから、翌日に届ける事になった。

彼の家は町工場を経営している。
家内工業の典型であり、彼のご両親と三人で働いている。何を作っているかはよく分からないけれど
私の家の表札は金属製の物でその彼に作っていたた゜いたものである。(^^;
何回か仲間と一緒に遊びに行った事があるが、私は工場の機械油の匂いを嗅ぐのが好きだった。
そう、私の父は鉄工場に勤めていて機械油の匂いは懐かしい父の匂いでした。

彼の工場に入ると「切子」 と言って鉄を削った粕が散乱していた。
昔、父は指にこの切子が刺さり、いつも震え上がるほど痛いって言っていたのを思い出す。
針を消毒して指に刺さった切子をほじってとってあげるのが私の仕事であった。
砂鉄のような形をしているけれど2ミリ近く長いものもあったりして、もしも私自身にささったら痛くて何にも手につかないだろうにと思う。

父の具合が悪くなったのを察知してくれたのは勤めていた会社の奥さんでした。
私も子供の頃からよく可愛がってもらっていた人である。

その日もいつもの通り会社へ行ったそうだ。
だが突然、会社から電話がかかり、
「**さんの様子がおかしいからこれからすぐに病院へ行って貰います」と。

父は言われるままに仕事を早退して自力で車を運転して病院へ行き、そのまま即入院となった。
よくもまあ、そんな身体で無事に病院へたどり着いたものだと・・・(;_;)

父は脳内出血で倒れはしなかったけれど、鉄を相手にビニールホースをハンマー代わりに叩いていたそうな。
そんな話を後で聞いて私は大泣きしてしまった(;_;)

2004.07.14

好きな食べ物 2

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梅雨が明けて今は暑さまっしぐらの盛夏。
トマトにキュウリに茄子にインゲンに桃にスイカに・・・と、夏の食材がいっぱい。
でも、今は一年中、スーパーや八百屋さんで売られている。
季節感が全く無い。
まあ、食べたいと思ったときに買い物に行けば手に入る食材だから助かるけれど・・・。

買ってくるとまずは冷蔵庫へ収納。
冷たく保存され、調理されて食卓へ登る。

私が子供だった頃、うちにいつの頃から冷蔵庫があったのかどうかは分からないけれど物心付いたときから確か冷蔵庫はあったと思う。(^^;;;そのほかに最近姿を見せなくなった、『蝿帳』と言って周りを網が張ってあるおかずを保存する箱があったりもした。
ナンジャソリャァ
父は冷蔵庫で冷やす野菜は嫌だといい、口にしなかった。どういう訳か、それがそうと一目で分かるらしかった。

だからうちではトマトもキュウリも流水で冷やしていた。
トマトは皮を剥き、八つ割りして軽く塩を振る。
キュウリは切ると中に種の姿がくっきりしているような熟れたキュウリが好きだった。
鰻とかお寿司とか高級なおかずよりも素材そのものの味を食べる素朴なおかずが好きだった。ハハハイナカモノ~(^^;;;

冷蔵庫で冷やしたほうが早く冷たくなるし、水道代も節約になると思っていたけれど、普段食べ物に我がままを言わない父だけれど、そんなところにこだわりを持っていたんだなぁって。
父が仕事から帰って来る時間を逆算して食材を冷やし始める母だった。
そんな母の姿を子供の頃から見ていた。
それがうちの父と母だった。

2004.07.12

北品川を訪ねて

2001年11月17日、土曜日、長く闘病生活していた父が他界した。
私は仕事先で兄からの連絡を受けてバイトを早退して急いで家に戻った。
もう絶対に元気な父にはならないと覚悟していたけれどやっぱり辛かった。
普段、無口な父だったけれど病院を入退院するたびに口数がぐっと少なくなり、聞こえてくるのはうめき声のようなものだけだった。

私自身ファザコンであるとは全く思っていなかったけれど父の思い出を話しているうちに他所の人にファザコンだと初めてそんな風に言われて内心どっきりした。
でも、本当にそうだったのかなぁ???

ここで少し父の思い出話をしたいと思います。

昨日は品川の新馬場のあたりにあるラーメン屋さんに行った。
道路の標識が北品川と書いてあり、親戚のおじさんの家がすぐ近くにあるところでした。
うちの父の兄弟姉妹は人数が多くて一番年上の人と一番下では親子ほどの年齢の差があった。父はそんな兄弟の一番末っ子であった。
みんな年をとり定年を迎えたり、自由気ままな生活になった晩年はよく兄弟の家に泊まり回っていた。
私が東京に住んでいるもんで父も二年に一度くらいかなぁ、元気だった頃は遊びにやってきてたまに私もお供して親戚の家に遊びに行ったものでした。
新馬場のあそこらへんは昔は小さな路地がたくさんあって家がひしめき合って建っていた。親戚のおじさんの家もそうで父の記憶をたどって家をぐるぐる探しまくって行った。
そのころまだ娘は幼くて私におんぶさって三人でふらふらと歩き回った。
家々の玄関先にはいろんな鉢植えが育てられていて下町の風情たっぷりで、どこかほっと和むような近所のおばさんの声がすぐに聞こえてくるような町でした。
娘は私の背中で眠ってしまいおばさんにお布団を敷いてもらってすやすやと夢の中へ・・
夜、お寿司をとってくれてそのお寿司がとっても美味しかった事を覚えています。

たいした思い出話じゃないけれどたった一つの道路標識を見ただけで父との思い出が甦ってきてしまう。とても懐かしいというか、父と私だけの思い出なんだと。

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